横浜市を散歩
2005-12-18T15:12:16+09:00
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江戸末期~戦後の名残を色濃く残し、素敵な場所が数多く存在する町、横浜。ここは興味を引かれたり偶然発見した素敵な場所に実際に訪れ、記録するblogです。
Excite Blog
平沼踏切跡
http://hamasanpo.exblog.jp/155309/
2005-12-18T15:12:16+09:00
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2005-12-18T15:12:16+09:00
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跡
平成17年11月1日11時0分で廃止になったそうです。1が多い廃止日ですね。。廃止されてから1年ちょっとが経過しました。
左の写真。横断歩道の跡があります。フェンスの向こう側に、少し道路の跡がありますね。右の写真は、遮断機跡。昔は橋を使わず、平沼橋商店街からずーっと浅間方向まで歩けたんですね。
こちらのページに詳しく載っています
場所
昭和52年度の空撮
2005/12/18]]>
寿町 - 日本三大ドヤ街の1つ
http://hamasanpo.exblog.jp/155295/
2005-12-17T15:08:00+09:00
2005-12-18T15:09:15+09:00
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名所
ドヤ街については↓に詳しく記載されてありますので、ご一読下さい。
wikipedia
この街を歩いていると、色々な小さな風景に遭遇します。
競馬実況を固唾を呑んで見守るオッサン達
野良猫にエサをやるオッサン達
お酒を飲んで千鳥足状態のオッサン達
歩行者天国ではないのに道路の真ん中を歩くオッサン達
私、この街が好きです!
場所
2005/12/17]]>
打越湧水
http://hamasanpo.exblog.jp/155288/
2005-12-17T15:07:00+09:00
2005-12-18T15:07:58+09:00
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名所
私も飲んじゃうけど。
以下、案内文。
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霊泉の由来
この霊泉は安政年間横浜開港時出入船舶に給水したものでその後大正12年9月1日の関東大震災及び昭和20年5月29日の大空襲の際、この霊泉により数万市民の生命が救済された貴重なものである。
昭和48年2月25日
打越町内会長 山本平治
湧水を利用される方へ
この湧水は、古くから市民の生活用水として広く利用されてきた由緒あるものであります。最近は水道の発達によって忘れがちな湧水ですが、水温は夏は冷たく、冬は暖かく、一年を通じてほぼ安定しております。近年では、周辺環境の都市化が進んだ影響もあり、清浄な水質が保てなくなってきましたが、災害時等には飲用以外の生活用水としての活用が可能です。
近隣住民はもとより、遠方の方からも愛されているこの湧水をいつまでもきれいに絶やさぬよう、次のことを守って皆で大切にしましょう。
・水質が不安定ですので、飲用は避けてください。
・水取口や周辺はいつもきれいにしておきましょう
・ゴミや汚れに気づいたらすぐにきれいにしましょう
石川打越地区連合町内会
中区地域振興課
水質に関する問合せ:中福祉保健センター生活衛生課
(224-8339)
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場所
2005/12/17]]>
地蔵王廟
http://hamasanpo.exblog.jp/155283/
2005-12-17T15:05:00+09:00
2005-12-18T15:07:02+09:00
2005-12-18T15:07:02+09:00
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名所
山手に外国人墓地があるのに、なんでそっちに埋葬しないんだろう。
山手にあるのは所詮外国人といっても、西洋人向けなんだろうな。
外国人と表記するのは語弊があるから、西洋人墓地とでも改称すればいいのに。
以下、案内文
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横浜市指定有形文化財(建造物)
地蔵王廟
平成2年11月1日指定
安政5年(1858)の五カ国通商条約によって開港された横浜に、居留地を中心として外国人が生活するようになりましたが、外国人のための墓地もこうした中で設けられました。地蔵王廟は、当時横浜で生活していた中国人の商人などの醵金(きょきん)により、明治25年(1892)、中国人墓地(中華義荘)に建てられたものです。
この地蔵王廟の建築は、中庭を中心に建物を前後に取り囲む南方特有の形式で、広東省や台湾の廟建築に多く見られます。主要材を広東省広州から船で運搬し、軸部や外壁、屋根材は横浜で調達したもののようで、建築当初にはフランス人の手によって焼かれたジェラール瓦が使われていました。現存する市内の近代建造物としては最古のものであり、明治中期、居留地時代の横浜の建築状況を示すものとして貴重です。
平成3年3月
横浜市指定有形文化財(彫刻)
地蔵王菩薩坐像
平成6年11月1日 指定
所有者 中区山下町140番地 財団法人 中華会館
所在地 中区大芝台7番地 地蔵王廟
技法 脱活乾漆造、漆箔
寸法 83.7センチメートル
時代 清時代(光緒18年・1892・明治25年)
地蔵王菩薩坐像は地蔵王廟の本尊として安置され、廟創建と同時に造立されたものと考えられます。当時日本では用いられなかった脱活乾漆の技法の点から中国における製作とみられます。
地蔵菩薩信仰は中国では、唐代7世紀頃からはじまり、唐末には民間の道教信仰と結びつきました。本像は清朝官人風の帽子戴いていることが従来のものと変わっており、当時の風俗が取り入れられたものと考えられます。
中国の明代以降の脱活乾漆遺品として知られるものは極めて少なく、本像は清代末期の脱活乾漆の希少な遺品として貴重な存在です。
横浜市指定有形文化財(工芸品)
地蔵王厨子
前机
平成6年11月1日 指定
所有者 中区山下町140番地 財団法人 中華会館
所在地 中区大芝台7番地 地蔵王廟
時代 清時代(光緒18年、明治25年(1892))
寸法
地蔵王厨子
総高 331.5センチメートル
総幅 247.0センチメートル
総奥行 110.0センチメートル
前机
総高 115.5センチメートル
総幅 316.5センチメートル
総奥行 56.0センチメートル
地蔵王厨子
地蔵王像を安置する厨子で、木造、黒漆塗、金泥仕上げに彩色されています。装飾板の図様は神仙や道士などの人物を中心に、蝙蝠や手長猿、瓢箪や牡丹、葡萄、柘榴、蓮花など動植物文に中国文化の特徴がみられるとともに、ガラスの鏡板の使用や装飾文様に西欧の影響が窺えます。中国伝統文化と19世紀末時代性をよく伝え貴重です。
前机
地蔵王を荘厳する三具足(蝋燭台・香炉・花瓶)を置く供物台で、木造、漆塗、金泥・彩色です。図様には人の寿命をつかさどる神、司命神の北斗 (死)と南斗(生)を表している。囲碁をかこむ二人の人物、竹林の七賢者と思われる群像など、中国庶民の根強く信仰している道教を基とした民間信仰が表現されています。中国宗教工芸として興味ある作品だけでなく、国際都市横浜の開港史料としても重要な価値があります。
平成7年3月
横浜市教育委員会
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場所
2005/12/17]]>
旧柳下邸 - 根岸なつかし公園
http://hamasanpo.exblog.jp/155278/
2005-12-17T15:03:00+09:00
2005-12-18T15:05:05+09:00
2005-12-18T15:05:05+09:00
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名所
和と洋が絶妙に絡まっている、不思議な外見の建物です。
中に入ると、とても静かな暖かい昼下がり、といった感じの雰囲気が。入り口から建物に入って左手の扉を開けると、いきなり五右衛門風呂です!部屋がたくさんあり、ほとんどが畳敷き。
奥の蔵みたいなとこに入ると、収蔵品と思しきアイテムが展示してあります。オルガンなんかもありました。
・・・音が鳴るのか!?
好奇心に負け、試しに弾いてみました。
音、出ます。現役です。
ここ、とにかく雰囲気が良いので、お勧めのスポットです。
場所
2005/12/17]]>
弘明寺ガス爆発マンション - その後
http://hamasanpo.exblog.jp/155269/
2005-12-17T15:00:00+09:00
2005-12-18T15:03:35+09:00
2005-12-18T15:02:42+09:00
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名所
前回(2005/11/23)時
マンションの前にあった藪がきれいに整地されつつあります。
マンションの状態はさることながら、マンション右手にあった墓場はどうなっているのか確認してきました。相変わらず状況はよろしくありません。右の写真に写っているお墓、裏にある崖からコンクリートの土台が崩れ落ちてきて、倒れてしまっています。この小さなスペースにある墓場には、全部で20基程のお墓が建っており、例外なく全て「平戸家先祖代々の墓」です。平戸さん、早く直してあげないと、バチがあたるかもしれませんよ。
場所
2005/12/17]]>
京急線路脇廃屋
http://hamasanpo.exblog.jp/155257/
2005-12-17T14:59:00+09:00
2005-12-18T15:00:23+09:00
2005-12-18T15:00:23+09:00
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跡
小ぶりだけれど、なかなか見事な廃屋です。
場所
2005/12/17]]>
獅子頭共同栓
http://hamasanpo.exblog.jp/155247/
2005-12-17T14:55:00+09:00
2005-12-18T14:58:55+09:00
2005-12-18T14:56:55+09:00
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名所
獅子頭+水といえば、掃部山公園の井伊直弼像の脇にあるやつを思い出す人は、かなりのマニア。獅子マニア。
→掃部山公園の獅子はコチラ
以下、案内文
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この獅子頭共用栓は、明治時代に使用されていた近代水道の貴重な歴史的遺産です。
当初イギリスから輸入され、獅子のデザインはギリシャ神話にちなむものと言われています。
30軒程度が共同で使用し、最盛期には600基ありましたが、現在完全な形で残っているのは横浜水道記念館に展示されている2基だけと言われています。
なお、ここの水は水道水ではなく、湧水です。飲用には適さないものです。
横浜市
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場所
2005/12/17]]>
大原隧道
http://hamasanpo.exblog.jp/155238/
2005-12-17T14:54:00+09:00
2005-12-18T14:55:52+09:00
2005-12-18T14:55:52+09:00
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名所
中を行き来したのですが、結構狭い!人が二人並べるくらい。
案内文によると、保土ヶ谷に東隧道なる、兄弟隧道があるらしい。オラ、わくわくしてきたぞー
以下、案内文
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大原隧道
この大原隧道は、昭和3年(1928)関東大震災の復興事業の一環として水道本管を敷設するためのトンネルとして完成しました。
延長は254メートル、高さ3.62メートル、幅2.44メートルの馬蹄型トンネルで200分の1の勾配、改修工事により高さと幅に若干の変化があるものの現在もトンネル内部には蒔田・磯子方面への水道本管(口径610mm)が埋設されています。
このトンネルの大きな特色は、坑門に紫褐色の焼過煉瓦を一段に長手面と小口面とを交互にみせるフランス積とし、これと対照的に力強いアクセントとして花崗岩を門柱風に配置するなどデザインに工夫がなされ、独特な風格を持つトンネル坑門となっていることです。
大原隧道と同様にフランス積の焼過煉瓦と花崗岩で装飾されている保土ヶ谷区岩井町の東隧道も、同じ用途で同じ頃に作られた兄弟トンネルです。共に横浜の代表的な土木遺産の一つとして評価されているトンネル構造物となっています。
1.歴史的建造物の概要
(1)名称: 大原隧道
(2)所在地: 南区清水ヶ丘76-10・南太田2丁目222
(3)建造年:
昭和2年(1927年) 6月 着工
昭和3年(1928年) 7月 竣工
(4)設計者: 横浜市水道局
(5)施工者: (不明)
(6)構造規模: 水道用(管理用通路付) 馬蹄型トンネル。[工費72.564円40銭]
延長254.5m 勾配 200分の1
高さ 3.6m 幅 2.4m
横浜市
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場所
2005/12/17]]>
関東学院中学校本館
http://hamasanpo.exblog.jp/155228/
2005-12-17T14:52:00+09:00
2005-12-18T14:54:22+09:00
2005-12-18T14:54:22+09:00
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名所
関東学院の公式ホームページに、以下のような記載がありましたので、引用します。
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■中学校本館
塔が独特の雰囲気を持っています。
ゴシック様式、中世ヨーロッパの城郭風の印象、斜め十字模様のレリーフ、銃眼風のパラペットなどが特徴。
横浜市指定歴史的建造物
構造 R.C.造3階 地下1階
建築 1929年
設計 J.H.モーガン
施工 不明
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関東学院 施設紹介 - 中学校本館
場所
2005/12/17]]>
霞橋
http://hamasanpo.exblog.jp/155223/
2005-12-17T14:51:00+09:00
2005-12-18T14:52:42+09:00
2005-12-18T14:52:42+09:00
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名所
浜松町交差点から黄金町駅に至る道にある陸橋。mixiのひろゆきさんから機銃掃射の跡があるとの情報をゲットしたので見てきました。うちから自転車ですごい近い距離なのに、坂がつらいのです。。。
右の写真が機銃掃射のあったと思われるレンガ壁なのですが、ところどころに小さな穴が開いています。が、これは機銃の跡にしては小さすぎるので、クギか何かだと思います。何故かこの壁、クギがたくさん刺さっているんです。直径4~5ミリ程の。
怪しいな、と思ったのは、5センチ四方で壊れているレンガ。弾が当ってレンガが砕けたのでは、と思われます!
場所
2005/12/17]]>
神奈川台関門跡
http://hamasanpo.exblog.jp/120078/
2005-12-11T23:17:00+09:00
2005-12-12T23:18:42+09:00
2005-12-12T23:18:42+09:00
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跡
以下、案内文
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神奈川台の関門跡
ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は安政6年(1859)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治4年(1871)に他の関門・番所とともに廃止された。
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場所
2005/12/11]]>
高島隧道 - 東急東横線廃隧道
http://hamasanpo.exblog.jp/120071/
2005-12-11T23:16:00+09:00
2005-12-12T23:17:40+09:00
2005-12-12T23:17:31+09:00
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跡
反町側の場所
横浜側の場所
2005/12/11]]>
東急東横線 横浜駅付近廃線跡
http://hamasanpo.exblog.jp/120050/
2005-12-11T23:15:00+09:00
2005-12-12T23:16:05+09:00
2005-12-12T23:16:05+09:00
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跡
場所
2005/12/11]]>
東急東横線 反町駅跡
http://hamasanpo.exblog.jp/120039/
2005-12-11T23:14:00+09:00
2005-12-12T23:15:04+09:00
2005-12-12T23:15:04+09:00
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跡
場所
2005/12/11]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/