※引越してきて半年しか経っていないので、記述にミスがあるかもしれません。ご指摘いただけたら幸いです。
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中国人のための墓地。 山手に外国人墓地があるのに、なんでそっちに埋葬しないんだろう。 山手にあるのは所詮外国人といっても、西洋人向けなんだろうな。 外国人と表記するのは語弊があるから、西洋人墓地とでも改称すればいいのに。 以下、案内文 =============================================== 横浜市指定有形文化財(建造物) 地蔵王廟 平成2年11月1日指定 安政5年(1858)の五カ国通商条約によって開港された横浜に、居留地を中心として外国人が生活するようになりましたが、外国人のための墓地もこうした中で設けられました。地蔵王廟は、当時横浜で生活していた中国人の商人などの醵金(きょきん)により、明治25年(1892)、中国人墓地(中華義荘)に建てられたものです。 この地蔵王廟の建築は、中庭を中心に建物を前後に取り囲む南方特有の形式で、広東省や台湾の廟建築に多く見られます。主要材を広東省広州から船で運搬し、軸部や外壁、屋根材は横浜で調達したもののようで、建築当初にはフランス人の手によって焼かれたジェラール瓦が使われていました。現存する市内の近代建造物としては最古のものであり、明治中期、居留地時代の横浜の建築状況を示すものとして貴重です。 平成3年3月 横浜市指定有形文化財(彫刻) 地蔵王菩薩坐像 平成6年11月1日 指定 所有者 中区山下町140番地 財団法人 中華会館 所在地 中区大芝台7番地 地蔵王廟 技法 脱活乾漆造、漆箔 寸法 83.7センチメートル 時代 清時代(光緒18年・1892・明治25年) 地蔵王菩薩坐像は地蔵王廟の本尊として安置され、廟創建と同時に造立されたものと考えられます。当時日本では用いられなかった脱活乾漆の技法の点から中国における製作とみられます。 地蔵菩薩信仰は中国では、唐代7世紀頃からはじまり、唐末には民間の道教信仰と結びつきました。本像は清朝官人風の帽子戴いていることが従来のものと変わっており、当時の風俗が取り入れられたものと考えられます。 中国の明代以降の脱活乾漆遺品として知られるものは極めて少なく、本像は清代末期の脱活乾漆の希少な遺品として貴重な存在です。 横浜市指定有形文化財(工芸品) 地蔵王厨子 前机 平成6年11月1日 指定 所有者 中区山下町140番地 財団法人 中華会館 所在地 中区大芝台7番地 地蔵王廟 時代 清時代(光緒18年、明治25年(1892)) 寸法 地蔵王厨子 総高 331.5センチメートル 総幅 247.0センチメートル 総奥行 110.0センチメートル 前机 総高 115.5センチメートル 総幅 316.5センチメートル 総奥行 56.0センチメートル 地蔵王厨子 地蔵王像を安置する厨子で、木造、黒漆塗、金泥仕上げに彩色されています。装飾板の図様は神仙や道士などの人物を中心に、蝙蝠や手長猿、瓢箪や牡丹、葡萄、柘榴、蓮花など動植物文に中国文化の特徴がみられるとともに、ガラスの鏡板の使用や装飾文様に西欧の影響が窺えます。中国伝統文化と19世紀末時代性をよく伝え貴重です。 前机 地蔵王を荘厳する三具足(蝋燭台・香炉・花瓶)を置く供物台で、木造、漆塗、金泥・彩色です。図様には人の寿命をつかさどる神、司命神の北斗 (死)と南斗(生)を表している。囲碁をかこむ二人の人物、竹林の七賢者と思われる群像など、中国庶民の根強く信仰している道教を基とした民間信仰が表現されています。中国宗教工芸として興味ある作品だけでなく、国際都市横浜の開港史料としても重要な価値があります。 平成7年3月 横浜市教育委員会 =============================================== 場所 2005/12/17 #
by yuji1192_1192
| 2005-12-17 15:05
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